境内のご案内

本尊 釈迦如来坐像

木造。江戸寛永年間。作者等詳細不明。
長昌寺のご本尊は釈迦如来坐像です。内陣中央にお祀りされています。

芋観世音菩薩

木造。約3寸。その昔、富岡の北にある鳥見塚に豊かな水をたたえて一年中芋の葉が繁る一間四方の池がありました。いつの頃からか、この池の中に小さな観音様が現れるようになり、霊験あらたかなことから、戦国時代末期、時の地頭や村人達によって池の近くに観音堂が建てられました。

この観音様は本来、人々から病苦を抜き去って下さる恵み深い観音様で、お参りすればいかなる願い事もかなえられ、また容貌を美しくして下さるとも言われて参りました。とりわけ当時は天然痘が流行し、「疱瘡」「イモ」などと呼ばれ大変恐れられており、一度患うと命を落とすか治っても痕が残るものでした。しかしながら芋観音にお参りをして祈願し、池の湧水を頂けばその難を免れ、たとえ患えども軽く治るとされました。

この由来から「芋観世音」又は「芋神様」と尊称され人々から絶大の信仰を受けられるようになり、御開帳日には近郷近住のみならず江戸や相模から子供を連れた参詣者で賑わったと古記録に記されています。現在でも3月上旬に参拝者に里芋の煮転がしや甘酒を振舞って盛大に御開帳縁日法要が行われています。

芋観音厨子

芋観世音菩薩石像

ご尊体は3月上旬に行われる御開帳法要時のみ御開扉されますが、本堂脇に設けられた水屋にはそのお姿を約10倍にした石像が安置されています。豊富に湧く井戸の水をかけてお参り下さい。

芋観世音菩薩石像

狛犬

芋観音堂を御守りしてくださっている狛犬は一対。向かって右側は赤ちゃんが乳を飲んでいる珍しい狛犬。天保7年(1836年)、当山8世照道僧寛代に造立されました。奉納して頂いた方々のお名前を見ると鎌倉、日本橋など広域にわたっています。芋観世音菩薩が広く信仰されていたことがわかります。

狛犬

楊柳観世音菩薩坐像

木造。江戸時代の作。三十三観音の一つで柳の枝を手に持ち、人々の病気を治すことを本誓とすると言われています。別名薬王観音とも呼ばれています。当山の楊柳観世音菩薩は柳枝をかたわらの水瓶に差しています。また芋観世音菩薩の前立観音です。

開山 仙溪僧才禅師像

木造。関東十刹の筆頭であった鎌倉禅興寺(現在は明月院に統合)住職の仙溪僧才禅師が天正2年(1574年)に当山を開かれました。禅師は慶長16年(1611年)8月4日に示寂されましたが、約110年後の享保9年(1724年)1月19日に当山開山ととして開山像安座供養法要が行われました。

開山 仙溪僧才禅師像

瑚林慶珊大姉墓所

瑚林慶珊大姉とは江戸初期、冨岡村の地頭であった豊島刑部明重公の母親の法名。
慶長18年(1613年)10月6日死去され、当山にて葬儀を行いました。明重公は家康、秀忠、家光と三代の将軍に重用されたが、寛永5年(1628年)8月10日、51歳幕府御目付役の時に武士の面目として江戸城にて老中井上正就を刃傷殺害し、自身もその場で切腹しました。家名断絶するも、当地の名君として今に伝えられています。江戸城三大刃傷の一つとされ、「徳川実記」「細川家記」「東武実録」「上杉年譜」などに記されています。また柴田錬三郎は小説「孤剣は折れず」にて明重公を描いています。

瑚林慶珊大姉墓所

直木三十五墓所

直木賞で知られる直木三十五の墓所。昭和9年2月24日に43歳という若さで逝去されました。26日に内幸町大阪ビルにて葬儀が営まれた後、多摩墓地へ納骨の予定でしたが、晩年富岡にて生活をされていた縁で隣山の慶珊寺に墓地が造立されました。そして昭和22年に妻佛子須磨子の意向により長昌寺へ改葬されました。
現在では毎年2月下旬の命日に代表作「南国太平記」に由来して南国忌が開催されています。
尚、隣には直木三十五を尊敬しておられた、第89回直木賞受賞、胡桃沢耕史氏の墓所が並んでいます。

  • 直木三十五墓所
  • 山門前にある墓標

布袋尊像

木造。本堂内陣脇に安置されています。布袋尊は中国の明州(現在の浙江省寧波市)に実在されておられた仏僧で、9世紀末(唐末)に示寂されたとされています。常に布袋を背負っておられたことから名付けられ、七福神では開運招福として人気があります。1月1日(元日)から約1週間御開帳されています。

本堂布袋尊

布袋尊石像

石像。山門左脇に安置されています。本堂にお祀りしてある布袋尊像の御開帳は正月のみですが、こちらは一年中皆様のご来山を山門脇にてお待ちしております。

布袋尊石像

柏槙

柏槙(ビャクシン)は暖海性のイブキの一種で真柏ともいわれ、星霜を経た古木の姿は盆栽を愛する人々に特に尊ばれています。当山の柏槙は樹齢約700年、樹高約七メートル、幹周り二メートル弱で、本堂の左前にあります。横浜市名木古木指定を受けており、昔から富岡の古木として知られています。境内には他にも横浜市名木古木指定を受けている榧(カヤ)、欅(ケヤキ)の古木がそびえています。

  • 下から見た柏槙
  • 正面から見た柏槙

表参道階段

長昌寺表参道の階段はかつて野口英世が勤務していた横浜開港検疫所の階段を移設したものです。明治12年(1879年)にコレラ対策として神奈川県地方検疫局が設置され、横浜検疫所は明治28年(1885年)に現在の場所金沢区長浜に移転し、「長濱検疫所」とされました。その後明治32年(1889年)には「横浜開港検疫所」と改名しました。北里柴三郎の伝染病研究所の助手を勤めていた野口英世はわずか5か月間ではありますが、同所にて勤務をしておりました。同所保存計画により1980年代に保存・補修工事が行われ、その際に不要となった正面階段を長昌寺に移しました。

表参道階段

檀信徒会館 善信閣

檀信徒の皆様が法要をされる際の待合所、または法要後のお食事処としてご利用いただいております。1階は椅子席で最大24名、2階は着座で最大24名にてご利用いただけます。
食事席としてご利用の場合、一律5,000円の利用料を頂いております。尚、仕出し料理をご希望の方はお寺にご相談下さい。

善信閣入口
  • 一階
  • 二階