沿革

横浜金沢七福神 布袋尊御開帳 1月1日~1月8日

七福神めぐりとは正月松の内に行えばその年には7つの災いから逃れ、7つの福を得るという信仰です。横浜金沢七福神は平成17年1月から始まった新しい七福神巡りです。金沢区は中世期以降の歴史的、文化的資産が数多く残されていることで知られています。富岡八幡宮、長昌寺、正法院、傳心寺、龍華寺、瀬戸神社、寶蔵院を歩いて巡っても約4時間。横浜金沢、海の風を感じながら新年をスタートされてはいかがでしょうか。当山では福を呼ぶ布袋尊をお祀りしております。

実施期間 1月1日~8日(原則) 拝観時間 午前9時~午後4時迄
スタンプラリーは基本1月第一土曜日(要確認)
詳細は 横浜金沢観光協会 横浜金沢七福神

南国忌2月下旬日曜日 午後1時法要開始

2014年開催 講演 志茂田景樹氏

大衆作家・直木三十五は1934年の2月24日。43歳の若さでこの世を去りました。彼の本名は植村宗一。『著者小伝』の中で次のように書いています。「植村の植を二分して直木、この時、三十一才なりし故、直木三十一と稱す。この名にて書きたるもの、文壇時評一篇のみ。翌年、直木三十二。この時月評を二篇書く。震災にて、大阪へ戻り、プラトン社に入り「苦樂」の編輯に當る。三十三に成長して三誌に大衆物を書く。三十四を拔き、三十五と成り、故マキノ省三と共に、キネマ界に入り「聯合映畫藝術家協會」を組織し、澤田正二郎、市川猿之助等の映畫をとり、儲けたり、損をしたりし――後、月形龍之介と、マキノ智子との戀愛事件に關係し、マキノと、袂を分つ。キネマ界の愚劣さに愛想をつかし、上京して、文學專心となる。」と。毎年直木三十五の命日である2月24日に近い日曜日には直木を偲び「南国忌」が行われています。代表作の『南国太平記』から「南国忌」と呼ばれ、1983年に第1回が開催され今に至っています。

芋観世音菩薩御開帳法要 3月上旬の日曜日 午前11時法要開始

年に一度、芋観世音菩薩の厨子扉を御開帳する縁日法要です。
江戸時代には江戸をはじめ相模の茅ケ崎や三浦三崎から多くの参詣客が訪れ、御開帳日には参道をはじめ付近の田畑にも屋台や見世物小屋がひしめいたと伝えられ、その賑わいは大正の初めまで続いていたそうです。戦後芋観世音菩薩が長昌寺に移されたことで観音堂を建立し、1980年に檀家、有志の尽力により縁日法要が再開することとなりました。現在では毎年非常に多くの参詣客にお参りしていただき、境内では芋煮や甘酒、菓子やポップコーンなどの振る舞いが行われています。御開帳法要当日にお参りすれば一年間お参りしたと同様のご利益があるとされています。芋観音御守り、祈願札の当日受付も致しております。

釈尊降誕会 4月8日

4月8日は、お釈迦様のお誕生をお祝いする「花まつり」の日です。
お釈迦さまは、今からおよそ2500年前、現在のインド国境に近いネパールの地、ルンビニーの花園でお生まれになりました。お釈迦さまの誕生日のお祝いを「花まつり」というのはこのためです。当山ではお釈迦様の誕生の様子を表した花御堂(はなみどう)を本堂前に飾り、その中央には天地を指差した誕生仏を安置し、甘露の雨を模した甘茶をかけてお祝いします。

本堂前花御堂

山門大施餓鬼会8月7日 午後2時法要開始

当山の大施餓鬼会は毎年8月7日午後2時より厳修しています。
ある時、釈尊の十代弟子の1人、阿難尊者が瞑想していると目の前に餓鬼が現れました。その餓鬼は「お前は3日のうちに死ぬ。そして私のように醜い餓鬼となるだろう」と阿難尊者に言いました。阿難尊者が釈尊に相談したところ、釈尊は「山海の食物をお供えし法要しなさい。お経の力で供物は無量に増し、多くの餓鬼に施され救われだろう。」と言いました。こうして阿難尊者が餓鬼を供養した法要が施餓鬼の起源とされています。
施餓鬼会は、餓鬼をはじめ、そのような三界の万霊に施すものであります。そしてその功徳は、施主やそのご先祖様にもたらされます。当山ではこの施餓鬼会に新盆供養を行っています。

盆・彼岸棚経回り

当山では盆(7月又は8月)、彼岸(3月、9月)に各ご家庭を廻り、先祖供養のお経をあげさせていただいております。

除夜改旦諷経1月1日 午前0時法要開始

1月1日午前0時より諸堂各所にて除夜改旦の読経をしております。